加古川の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

兵庫県加古川市歴史探訪
加古川市の概要
加古川市は兵庫県の南部に位置し、市の中央を県下最大の加古川が貫流し、大小のため池が点在する自然が豊かなまちです。また、特例市に指定されており、東播磨地方の中核都市として機能しています。毎年11月には、散歩することの楽しさの発見・人的交流や健康促進を意図した企画「加古川ツーデーマーチ」が開催され、県内外から多数の参加者訪れています。気候は温暖で、比較的雨が少なく、冬には雪が降ることがあるものの、積雪することはごく稀です。JR西日本の山陽本線(JR神戸線)と加古川線、そして私鉄の山陽電気鉄道が通っており、交通の便が良いことから、神戸市・姫路市のベッドタウンとして発達してきました。加古川町一帯(JR加古川駅周辺)と、平岡町一帯(JR東加古川駅周辺)が発展しており、人口も主としてこの2町に集中しています。マンションが多く、重化学工業地帯や大型量販店の激戦区となっている南部と、農村風景が残るのどかな雰囲気の北部とで全く違う景観が楽しめる二面性のある都市です。

加古川のあゆみ
加古川地区は、一地方豪族の領地であったと言われており、現在も市内の各所に古墳・廃寺等の歴史遺物が残されています。5世紀初頭には西条古墳群(行者塚古墳・人塚古墳・尼塚古墳等)が築造されたことも分かっています。

崇峻天皇2年(589)に、聖徳太子により刀田山四天王寺聖霊院(鶴林寺)が創建され、門前町ができ、養老2年(718)には、七堂伽藍が整いました。

江戸時代には、加古川宿が置かれ西国街道の宿場町として発展し、明治時代以降は、農業と漁業中心のまちから軽工業のまちとして栄えました。さらに播磨臨海工業地帯の拠点として重工業のまちへと変わり、東播磨地域の中核都市として発展していきました。

昭和25年(1950)、に市制が布かれ、旧加古郡の町村が合併して、加古川市となりました。その後、人口は増加の一途をたどり、1970年代に記録した高い人口増加率は、全国一の人口増加率となりました。

平成14年(2002)に特例市に指定され、「ひと・まち・自然がきらめく清流文化都市」を目指し、鉄道高架事業・下水道整備事業等の都市基盤整備、市民の健康を支援する運動公園の整備、広域都市型ケーブルテレビを活用した地域情報化などを推進しています。また、漕艇センターを拠点とするレガッタの振興など、川を活かしたまちづくりも進めています。


加古川の名前の由来
加古川は太古以来の流で、加古川をはさむ印南野平野は、この河によって流されてきた流砂の堆積によってできた土地です。古事記によれば、この河は「氷河(ひのかわ)」といわれており、播磨風土記では、印南川といわれています。また、日岡、すなわち賀古の丘に沿って流れるので “賀古河”といわれるようになりました。その他にも、「鹿子」・「鹿児」・「香糞」の字も用いられていますが、万葉集には、「可古」の字も使われていました。そして、元禄時代(約300年前)から、今の「加古」の字が用いられるようになりました。


加古川の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
加古川総合文化センター 博物館
住所: 〒675-0101
兵庫県加古川市平岡町新在家1224-7 [地図を見る]
電話番号: 079-425-5300
開館時間: 10:00〜17:00
(入館は16:30まで)
休館日: 第2・4月曜日(月曜日が休日の場合は翌日休館)、12月29日〜1月3日
入館料: 大人200円、子供100円、4歳未満無料







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